すねげです。
僕は市役所に8年間いたのですが、毎週毎日のようにやる仕事もあれば
8年間いて、たった1度の経験で終わった仕事もあります。
今日はそんな、世にも珍しい仕事を3つご紹介します。
では、どうぞ。
行幸啓(ぎょうこうけい)
まず、行幸啓とはなんぞやということですが、Wikipediaには
「天皇と皇后が一緒に外出することを指す」という説明があります。
詳細はこちらまで。
四大行幸啓というものがあって、その中には国民体育大会などがあります。
そして、僕が市役所に勤めていたとき1度だけ、地元である青森県黒石市という所に
天皇皇后両陛下が来たことがあります。
その時は、りんご園やりんご研究所を視察するという内容の行幸啓でした。
もちろん行幸啓というイベントは、黒石市で毎年あるイベントではなく
それ専用の部署もありません。
天皇皇后両陛下がりんご園見に来るってよ!って決まったとき
じゃあどこの部署が、この仕事を処理するんだとなり
「りんごに関する所に行くんだから農林課だべ」となったらしく
中でもとりわけ、りんごに関する事務をしていた、僕の所属する
りんご農産係が引き受けることになりました。
その当時の課長から
「この仕事は役所にいて1回経験するかしないか」と言われたのですが
その通りで、行幸啓の仕事はこの時の1回のみでした。
定年まで働いていたらもしかしたら2回目を経験したかもしれません。
そして肝心の仕事内容はというと、僕がやっていたのは
「天皇皇后両陛下が通る道沿いの家、園地の所有者をリストアップして電話する」
というものでした。
というのも、行幸啓はありとあらゆることを想定するらしく
万が一、天皇皇后両陛下が体調を崩した、トイレに行きたいとなったら
すぐに車を停めて、そばの家で休むとか用を足すことを考えて
あらかじめ通る予定の道沿いの家、全部に確認をしておくのです。
「何月何日何時何分ごろあなたの家の前を天皇皇后両陛下を乗せた車が通る。
その時、もしかしたらトイレを借りるかもしれないけどいいか?」
みたいな電話を全部の家にしました。
そして、家が無いところを通る、りんご園地が並んでいる所はどうしたかというと
50m感覚で園地に簡易トイレを置かせてもらう、でした。
なのでこれも、家のときと同じで、園地の所有者全員に
「あなたの園地に天皇皇后両陛下が万が一の時に備え、簡易トイレを置かせて」
こんな電話をしました。
家も園地も全て、地図や台帳を使って調べ、電話をするという仕事でした。
これは下っ端の仕事です。
係長とかは、関係各所になにやら必要なものの調達だったり調整をしていました。
行幸啓当日は、僕はお留守番係だったので現場に見に行けなかったので
僕がアポをとりまくって置いた簡易トイレが活用されたのかは分かりません。
年号切り替わりによるシステム立会
これは「平成→令和」になるとき、システムが正常に動作するかの確認の仕事です。
システムというのは、住民票や証明書を出したりするシステムのことです。
システムから発出される書類には「令和3年~」みたいに、元号が印字されます。
その元号が、ちゃんと印字されるようにシステムが切り替わったかの確認です。
システム自体の切り替えは、うちの職場は富〇通のものを使っていたので
富〇通のSEさんがやってくれます。
だから、僕たち役所の者はただ印刷をするだけです。何も大変ではありません。
そして、この確認の仕事は各部署から1人が代表してやりました。
1枚の書類を10数人で確認して「令和になってるね」「文字化けしてないね」
「令『輪』になってないね」とかする必要ありませんからね。
この1人に僕が選ばれたんですね~。
僕だけ独身、彼女もいない立場でしたから^^
皆さん記憶に新しいと思いますが、平成から令和になったのはGWど真ん中です。
ただ、この確認の仕事をGW明け、いきなり業務中にやったりして
「あれ!?上手く印字されてない!」なんてことは許されません。
誰か1人、GWど真ん中に出勤して令和になったその日に確認する必要があります。
そこで、白羽の矢が立ったのが僕でした。
課の中で誰を1人出勤させるか話題になり、周りは続々と
「家族旅行に行ってるから」「友達と旅行に行くから」「私もいけません」
・・・すねげ君いいかな?(*^-^*)
す「はい!大丈夫です!(いや、メイドカフェ行く予定だったんだが)」
こんな感じで決まってしまいました。どこに行っても僕の肩身は狭いです。
実際の仕事はというと、15分くらいで終わりました。
一通り証明書を出して、元号を確認するだけですからね。
課長には元々、「すぐに終わったとしても、1時間の時間外つけていいからね」と
言われていたので遠慮なくつけました。
休日出勤の1時間は、平日の1時間残業より割がいいので、休みの予定は崩された感
がありますが、まぁいっか的な気分でした。
この仕事が次に出来るのは、元号が変わるとき
何年後、何十年後か分かりませんが、なんだかんだでこの仕事を出来るのは
ラッキーな人だと思います。
台風対応
3つ目は台風対応です。
青森県は、台風が直撃することがあまりなく、大体それるか来るまでに
温暖低気圧に変わります。
なので、台風による被害はそこまで多い方ではないんじゃないかなと思っています。
しかし、8年間で1度だけ、もろに直撃して対応に当たったことがあります。
それは、「平成25年台風18号」のときです。
この台風は、風も強かったと思いますが、何より記憶に残っているのが大雨です。
青森県でも雨が大量に降り、りんご園が冠水したり、山にある園なんかは
崩れるといった被害がありました。
当時ぼくは、農林課に在籍していたのですが、園地の修復に関する仕事は
農地林務係という、畑や田んぼ・山といった、農地や山の保全に関することを
専門とする土木系の係が対応していました。
それまでも、台風が近づいたりして園地などが崩壊する被害が少し出たときは
この係が対応することによって間に合っていました。
ただ、平成25年台風18号のときだけは違いました。
台風が過ぎたあとで、農家から「園地が崩れた」と大量に電話が来るのです。
その量はとても1つの係で対応できるものではなかったので
課総出で対応に当たりました。
こういう、修復とか土木系に関しては全くの未経験の僕は最初の電話の対応をする
くらいでしたが、その他の人たちも、電話を受けたら実際に園地まで行って写真を
撮るなどの仕事を慣れないながらもやっていたと記憶しています。
この時、県庁から「今うちから出してる依頼とか調査もの、全スルーでいいよ」と
メールが来たときは優しさに泣きそうでした。
そんな感じで普段の業務を多少排除して、とんでもない量の園地の対応は進みます。
この時の忙しさは、役所にいた中でもトップ3に入ると確信しています。
特に、初期の電話が大量に来てたときのピリピリ感は凄まじいものでした。
少しのミスも許されない、歩くな、走って移動だ!くらいのピリピリ感です。
台風対応が落ち着いたのは12月くらいだったのですが、この時は課のみんなで
お疲れ様会をしました。本当にお疲れ様です。農地林務係長。
以上で、市役所で経験した珍しい仕事の紹介を終わります。
振り返ってみて、公務員ならではの、しかも一生に一度しか体験できなさそうな
仕事を経験できたのはラッキーだったなと思います。
今こうして、話のネタにもできていますし。
こういう体験を今後も、色んな世界で増やしていきたいです。
ではまた。