体験談 公務員

すねげの昔話いろいろ

すねげです。

今回は僕の、このエピソードだけで1記事分に

するのには無理がある。でも、書いておきたい!

頭の中から放り出してしまいたい!

というエピソードを3つ寄せ集めて

1つの記事にしてしまおう!という企画です。

本当にくだらないです。

はっきり言って読むだけ時間のムダです。

では、どうぞ。

高校生のころ、バイト先のスーパーで萌えソンを大音量で流してしまう

これは僕が高1のころのお話です。

当時、遊ぶお金が欲しかったので、友達と

地元のスーパーのバイトの面接を受けます。

お盆の期間だけ働くバイトで、3日間くらい働く

あれです。

仕事内容は、寿司の製造でした。

そして、2人ともバイトをできることになり

働きに行きます。

働く時間帯が7時~12時の5時間でした。

朝が早かったので、6時前くらいに目覚ましを

セットしてました。

なんとか起きて準備をし、友達とスーパーで

合流します。

仕事が始まる20分前くらいから、作業場である

冷凍庫くらい寒い部屋に、高校生くらいの子たちが

2、30人ぎっしりと詰まっています。寿司だけに。

そこで店員さんから製造の説明を受けます。

この説明の中で、ネット上のネタで見る

「さしみの上にたんぽぽを乗せる仕事」が本当に

出てきたとき、感動してぜひその仕事に従事したい

と思いました。

結果ですが、僕はえびを乗せる人でした。

説明が終わると、店員さんは部屋を出ていき

残されたのは高校生だけ、あとは仕事開始の7時を

待つのみになりました。

僕は友達と他愛もない話をして時間をつぶします。

そして7時、仕事開始と同時にそれは起こって

しまいました。

僕のケータイから大音量で

「もってけ!せーらーふく」が流れました。

ちなみに、もってけ!せーらーふくは、らき☆すた

のOPテーマです。

普段起きる7時のアラームの解除を忘れていました。

慌てて止めようとする僕、談笑で包まれていた部屋

が一気に静かになる、感じる視線

仕事前にいい汗をかいてしまいました(^-^)

そして、さっきまで隣で話をしていたはずの

友人が、僕から離れたところで仕事を開始して

いました。

そのバイトは3日間あったのですが

その後は何事もなく、淡々とこなしていきました。

3日目は、社員さんが2日間の仕事ぶりを見て

仕事が早い子だけが選ばれて作業していました。

僕は名前を呼ばれ、選ばれたときは見返したと

思いました。

俺寿司ネタのっけんのはえぇーから

ミスなくのっけられっから

みんなの前で名前を呼ばれたときは

そんなニュアンスが顔に出てました。

そして、バイトの給料は全額をコスプレに費やし

地元のコスプレイベントに参加しましたとさ。

母親のお腹の中では双子だった話

これはまだ僕がかなーり小さかった頃の話

生後-300日とかその辺りのお話です。

母親のお腹の中ですくすくと成長していた僕

ですが、もう1人共同生活をしていました。

双子の兄or弟です。2人いたから激狭空間でした。

そして僕が小3くらいのときだったと思います。

母親から「あんたがお腹の中にいた時ね

もう1人いたんだよ」と告げられ、僕がお腹に

いた頃のエコー写真を見せてくれました。

確かに2人いました。

小3すねげは

「もう1人はどうなったの?」と聞き返します。

すると「もう1人はね、栄養としてあんたに吸収

されたの。だから、今でもあんたの中で

生きてるんだよ。」と教えられました。

その時はそれで納得し、信じていました。

時が経って大人になったすねげは、小3のときに

された「お腹の中にいた時は双子だった」という

話を思い出します。

エコー写真では確かに双子だった、だけど

生まれてくる時には1人だった、この現象のことを

なんていうのかな

気になった僕は、当時は手にしていなかった

インターネットを使って調べました。

検索すると、それらしき症状の名前を見つけました。

「バニシングツイン」というものです。

これは、妊娠初期のころに、双子のうちの1人が

子宮へ吸収される現象らしいです。

双子のもう1人が母親の子宮へと吸収され

その母親からの栄養をもとに僕もお腹の中で成長

したので、母親の言う通り、もう1人は僕に栄養

として吸収されて、今でも僕の中で生きていると

解釈しておきます。厳密には違うと思いますが!

そして、僕の名前は「たつや」と言うのですが

これはあの有名な双子の野球漫画「タッチ」から

つけられたとのことです。

生まれてくる予定だった弟(?)は、作中では

亡くなるので、「かずや」とつける予定は無く

別の名前を用意していたそうです。

でも、兄弟がいる世界線も楽しそうだな~と

今でも思います。

でも、一人っ子で良かったな~と思うことも

あります。

学生のころの話ですが、兄弟がいる家に遊びに

行くと、目の前で兄弟げんかが起きるたび

「わーには兄弟げんかの心配ないから良かった」と

思うことがあったからです。

対して、家で一人でスマブラのコンピューター相手

に対戦していると

「一緒にゲームする兄弟がほしい」と思うことも

ありました。

こんな感じで、これが僕の生まれてくる前の

最も古いエピソードトークでした。

稲わらの焼却防止というお仕事

これは、市役所1、2年目あたりのお話です。

自宅の周りに田んぼがある環境に住んでいる方なら

分かると思いますが、米の収穫が終わる9、10月は

農家が刈り取ったわらを焼却しまくり、もくもくと

視界が悪く、けむたくなる時期です。

この時期になると必ず、住民の方から「近くでわら

を燃やしている。注意してほしい。」という苦情が

入ります。

僕が勤めていたところでは、そういう苦情が入ると

「稲わらの焼却は止めましょ~。稲わらは有効利用

なんたら~」

みたいな放送をかける車を走らせに行きます。

その車を走らせる役目が僕でした。

1年目のとき、その車が20年前に購入したパジェロ

で、見た目がボロボロ、そしてマニュアル車

でした。

今考えると、そんな車よく運転してたなぁと

19歳の自分に感心します。

次の年から、新しいオートマ車になったときは

素直に上司に感謝しました。

それで、平日の日中に走ることもあれば、日曜日に

市役所の宿直さんから「稲わらの苦情はいった

はんで来いへ」と言われ

ゲームを中断して走りに行くこともありました。

なのでこの時期は、急に呼び出されることが

多かったため、休みの日でも遠出することは

ありませんでした。

そして、電話で教えられた住所周辺に行きます。

このとき少し怖いなと思ったのが、わらを燃やして

いる現場をゆっくーーーーーーり放送をかけながら

走るのですが、いかにもわらを燃やしている人に

向けて放送するので、「なんじゃこら燃やすなって

いうのか???」的な感じで来ないかなと

思いながら走っていました。

というのもこの仕事の前任者から「一度、くわを

持った老人に追いかけられた」というエピソードを

聞いていたので、こういう恐怖心がありました。

幸いにも(?)、僕は一度も追いかけられたことは

ありません。

まぁ最悪?こられたとしても、僕はじじぃには力で

勝てます(^^)v

同年代の男はこないでください!負けちゃうから!

あと、女性は年齢関係なく優しくします(最低)

ただ一つ、言えることは、米農家には

米は作ってほしいけどわらは燃やしてほしくない☆

ということです(わがまま)。

今年の秋は、わら焼きのけむりを見ずに

温泉の湯けむりだけ見て過ごせることを願います。

きれいに締めたところで、今回のブログは終わりに

します。では、また。

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