すねげです。
今回は「縫製工場の「保全」という仕事を経験したお話②」の続きです。
まだお読みになっていない方は、そちらを読んでからこの記事を読むのがおススメです。
では、続きです。
転職を決意
Aさん監視のもと、ミシンをいじっていた僕は少し手が止まります。
そこですかさずAさん
A「おい、今なんで手止めた?」
僕「たしかこれ逆ねじだったなと思って、思い出してました。」
A「思い出す暇あったらとりあえず回してみなが!」
2秒止まったくらいで叫ばないでよ!いま回そうとしたんだよ!そう思った。
子どもが宿題をやろうとしたタイミングでお母さんに「宿題やりなさい!」と
言われるあれに似ている状況だった。
やる気のバロメーターが60から30まで一気に下がった。
この人は少しでも手を止めると叫んでくる。とりあえずねじは右回し。
しまらなかったら左に回そう。手は止めちゃいけない。こんな作戦を立てた。
そんなこんなで作業を続けていると、また逆ねじが出てきた。
右に回しても閉まる感じがなかったので、左に回そうとした時
A「それは逆ねじだべよ!!!」
なるべく考える時間を減らそうとしたらしたで、またしても怒られてしまった。
怒鳴られると精神的にもパフォーマンスに良い影響は及ぼさないもので
その後のAさんの指導が頭に入ってこなかった。
心の中で「今日の研修早く終われ早く終われ」とそればかり思っていた。
幸いにもその後は怒鳴られることなく、その日は終了した。
3日目が終わった後の僕の心境は
「あのおっさんを乗り越えてまで、またネジ回しに戻りたくない☆」だった。
帰りの車中で、転職活動しよう!と決意したのでした。
思い立ったら、即行動
そして4日目の朝を迎えるのだが、やはり気持ちは行動に表れるのだろう。
盛大な寝坊をかまし、7時10分に家を出る運びとなった。
始業は8時、道のりは1時間、どう考えても間に合わない状況だった。
研修に行きたくないという思いが、この寝坊を引き起こしたのだと思った。
アパートを出た直後の作戦としては
「一応車をぶっ飛ばして間に合うように努力はする。でも遅刻するくらいなら休もう」
だった。遅刻したらしたでAさんからまたグチグチ言われるに違いない。
それだけは嫌だった。これに関しては100%自分が悪いのだが。
車を30分走らせたところで、もう完全に始業には間に合わないと悟った。
ここでAさんに電話を入れる。
す「あのー、具合が悪いので休みます(嘘バレバレやろな〜)」
A「そうか、時期が時期なだけに気をつけな。」
今日はこれで自由じゃ〜!!!ヒャッホー!!!
これは本当にそう思った。今でも覚えている。
この狙って(?)出来た自由時間を使って
青森市のニトリに行ってまだ揃えていなかった家具を買いに行った。
それでも時間が余っていたので、ハローワークに行って新しい仕事候補を探しに行った。
我ながら最高の1日を過ごしている気がしていた。
そしてこの日、ハローワークで転職先となる会社を見つける。
午後イチからハロワに出向いた僕は転職先を探した。
やっぱり僕の得意分野は事務だ!そう思って事務系の仕事を探す。
すると「保育教材」を扱っている会社が目に止まった。
というのも、その会社の営業先が「保育所・小学校等」であったからだ。
市役所でこども関係の部署に5年いた僕は
保育所や小学校の先生とたくさん会話をしてきた。
この経験を活かせるかもしれない!というか志望動機書きやすそう!
志望動機が書きやすそうという理由でこの仕事に応募することにした。
すると明日面接をするので来てください、とのことだった。
今日ハロワ来てよかった〜この勢いで受かるんちゃうか〜と思った。
早速、履歴書をしたため、明日の面接に備えて、突然できた休日(?)は終わる。
次の日、面接へと会社に向かった。
会社に着いて待合室に案内されると、面接を受ける人が全員で10人くらいいた。
僕以外は全員女性だった。
場違いな気もしたが、男性事務員がいても何もおかしいことはない。
またしても自信を持って面接本番に臨んだ。
面接が始まり、志望動機を聞かれ
す「市役所で子どもに携わる仕事を5年間してきて、保育所や小学校といった現場に愛着がある。またフィールドを変えて、子どもの力になれるような仕事をしたいと思い、応募しました。」
こんな雰囲気のことを言った。
すると社長
社長「君、保育所のおばちゃん先生に受け良さそうだね。」
す「おじいちゃんおばあちゃんには可愛がられてきました!」
社長「事務で応募してくれたけど、営業として働いてと言われたら出来る?」
す「この会社で働かせてもらえるのであれば、喜んで!」
社長「じゃあ結果は後日連絡します。」
す「ありがとうございました。」
面接が終わって30分後、電話が鳴り
「君を営業として採用することにしました。」との一報がきた。
昨日まで「転職先どこにしようかな〜」と言っていた自分に
「明日には転職先決まるよ」と言ってあげたいくらいには嬉しかった。
そして、縫製工場には辞めることを伝え、退職届を提出した。
短い間、迷惑だけかけて辞めるのだから、工場長はじめ先輩たちには会わす顔もなかった。
さて、これですねげスタイルの縫製工場時代編は幕を閉じる事になる。
ここでたった二ヶ月ではあるものの、縫製工場の縁の下の力持ち的な存在である
「保全」という人たちを、そばで見てきて感じた印象をまとめたいと思います。
「保全」とは
一言で言うなら「職人」だな、という感想です。
こういう不具合が起きたときはこうした方がいい、というマニュアルは存在するのだが
これをそっくりそのまま再現したとしても、ミシンが直ることは少ない。
というのも、ミシンそれぞれに特徴があるからだ。
うちの工場では60台くらいあるミシンにA1、A2・・・という感じで番号が振ってある。
たとえばA1のミシンが不具合を起こして、マニュアルに沿って直そうとしても直らない。
そこで先輩が
「A1はマニュアルよりちょっとネジを緩めにしといた方がちゃんと動く」
という風に、ミシンごとに癖があるのでどちらかというとその癖を重視して
作業しないと直らない。他にも考慮することがあって
「今あの人があのミシン使ってるから、あの人は早く生地を動かしたがるから、ネジはちょっとだけきつくしめてあげた方がいい。」
と、「ミシン×人」との相性も考慮して作業をしていくのだ。
それを淡々とこなす先輩の後ろ姿を見て
「いつになればこの領域に辿り着けるのかしら」と不安になった。
市役所で8年間、マニュアル上等!要綱要領上等!で
仕事をしてきた僕にはカルチャーショックだった。
市役所の仕事は、これが起きたらこの様式、この事例が起きたときはこう、みたいな
ぴたっ、ぴたっ、とやることが決まっている仕事の方が圧倒的に多い。
しかし、縫製工場の保全は違った。
マニュアルこそあるが、それが活かせるのはド新品のミシンだけだ。
ミシンが使い込まれてくると、少しずつネジの調子も違ってくる。
設けなきゃいけない部品同士のすき間も徐々に変わってくる。
それに随時対応しなければならない。
全ての機械・不具合に対する確固たるマニュアルは存在しない。
その時々の調子を見定めて、その時にあった施術を施さなければならない。
しかも何十台と動いている機械のうち、1台でも止まると流れは止まる。
後ろがつっかえている、自分が直せばまたラインが動く。
そんなプレッシャーの中で、最速で最適な答えを見つけなくてはいけない。
そんな仕事をしている先輩たちを見て、「職人」という言葉が似合っていると思った。
実際に機械を操作して、服を作る人たちがいる裏で
そんな人たちを支えている「保全」という仕事を紹介しました。
次回は、すねげスタイル営業マン時代編をお送りします。