体験談

縫製工場の「保全」という仕事を経験したお話①

今回は、僕が縫製工場の「保全」という仕事をしていた時の話をしていきます。

「保全」とは、ミシンなどに不具合が起きたときに分解して修理する仕事です。

1日8時間近くミシンを動かしていれば「動かなくなった~」ということが起きる。

ミシンが動いていないということは、洋服の製造がストップしているので

いかに早く原因を突き止め、修理できるかが「保全」の醍醐味だと思います。

1着でも多く製造して売り上げを上げることが求められるので、1分1秒も

無駄にできません。

それでは本題です。

「保全」を選んだキッカケ

まず始めに、僕がなんでこの仕事をしようと決めたかというと

僕がまだ公務員だった頃、令和2年3月中旬の頃である。

公務員からの転職を考えていた僕は、新しい仕事に求める条件を3つ考えていた。

それは

  • 日勤
  • 土日祝日休み
  • ボーナスが出る

この3つである。当時の僕の心境としては、

「なるべく市役所と同じような働き方をしたい」

「でも事務職以外の仕事をしてみたい」であった。

そのため、職種にこそ制限はかけなかったものの、勤務する時間帯にはこだわった。

なので、ハロワに赴いて上記の3つのフィルタをかけて検索をかけたのである。

そこで検索に引っかかったのが3つあった。どれも工場だった。

2つは「〇△興業」みたいな名前で、いかにも

重い物運んでもらいますよ!服汚れますよ!

という雰囲気を求人票から漂わせていた記憶がある。

この2つは僕には向いていないと思った。では残り1つであるが

この1つというのが縫製工場の「保全」という求人だった。

最後の望みを託して読む求人票は、それはそれは魅力的に見えた。

「服装・頭髪自由」「残業代は15分単位で支給」「未経験可」

こんなにありがたい求人があるのかと思った。

というのも、当時の僕はといえば髪を緑にしたり赤にしたりと

やりたい放題公務員だったのである。

その様子をYouTubeに上げ、世間からどんな反応が来るか試したこともあった。

次は青かレインボーにしようと思っていたので

「頭髪自由」とわざわざ明言してくれるだけでもとてもありがたいのである。

肝心の仕事内容は・・・ラインの整備、ミシンの移動など、か!移動ならおまかせ!

たぶんなんとかなる!ハロワのお姉さん、僕この仕事やってみたいです!

と目を輝かせて窓口に進んだ。

そして、紹介状を出してもらい、その場で面接の日を決めてもらった。

平日だったので年休をとって行った。

面接は公務員試験以来8年ぶりだったが、絶対に受かる自信があった。

僕は何をやるにも自分は絶対出来る、と思い込んでから臨むタイプである。

いざ、面接へ

当日は工場長と10分くらい面接した。

「公務員を辞める理由は?」「指先は器用?」「なんでうちを志望したの?」

こんなことを聞かれた。

なんの部品か分からないが、小さな部品を分解したり元に戻したりすることで

指先の器用さを見られた。

その後で、工場の中を見学していくといいと言われて案内された。

こういう工場の中は初めて見るので、どういう感じになっているのかワクワクした。

実際に見てみると、かなりごちゃごちゃしていた。

ミシンやら何やらの機械のプラグが上に向かってたくさん伸びているのである。

そしてコンセントが天井付近にあって、そこにみんなつながっていた。

(イメージ画像)

確かにこの数の機械のプラグが全部下にあってつながっていたら

足の踏み場もなくなると思った。

そんな感じで面接は終わり「結果は1週間後に電話する」とのことで工場を後に。

内心、工場見学させてくれるってことは「君を採用します」って言ってることだべ!

と思っていたので、帰りの車の中はだいぶ上機嫌になって好きな歌を熱唱していた。

とは言うものの、結果が分かるまでは落ち着かないものである。

なんせ8年という期間、無職でなかったので「給料が発生しない期間」が生じると

思っただけで、怖い!それだけは回避せねば!となったからである。

1週間後、見知らぬケータイ番号から電話がきた。

出てみると面接をしてくれた工場長だった。ついにドキドキの結果発表である。

採用か不採用か・・・みなさんどちらだと思いますか。

人生で初めての転職チャレンジ、果たして成功したのか・・・

僕は無職を回避できるのか!結果は・・・なんと!!!

受かってました~

そらそうでしょう。「保全」を経験したからこれ書いてるんですから。

文字数稼ぎはこれくらいにして

面接に受かった僕は、令和2年4月上旬から「保全」として働くことになります。

初めての工場勤務

最初のうちは、先輩社員が作業している後ろについて見て学ぶことから始まった。

先輩「こういう不具合が起きたら、こうしてああして~」

僕「はい!はい!あ~、そうやるんですね~」

はっきり言って9割くらい理解できなかった。

見るのとやるのとじゃ雲泥の差とはこのことだと思った。

ときどき、すごい簡単な作業とかは見るだけでも分かるし、そういう仕事は

「じゃあ実際にやってみて」と振られたので助かった。

あとは、ミシンの移動、脚立に登ってプラグの差し替えなど

単純な仕事をこなすことからやっていた。

ただ、初日から「なぬ?」と思わされる出来事があった。

働いていた縫製工場は17時が定時である。

17時直前に工場長から「17時になったらすぐにタイムカード切ってね」と言われた。

なんとな~く嫌な予感がした。

すぐに続けて、「残業はみんなタイムカード切ってからやることになってるから」と

僕は心の中で

「求人票さ『残業代は15分単位で支給されます』って書いでだべな!あれ嘘だな?」

と思った。

工場長がそんなこと言うならこっちも何でも聞いてやろうと

「どのくらい残業しますか?」と質問してみた。すると

「う~ん、〇〇は2時間でいいよ。俺ら(先輩たち)は22時まで残るけど」

初めての民間への転職、大変なところへ来てしまったと思った。

ただ、なんせ初めての転職である。

「民間ってこれがスタンダードなのかも」と言い聞かせた。

頭髪自由だしな、これくらい受け入れなきゃ、ということにした。

そして17時になり、みんなぞろぞろとタイムカードを切る。

そしてUターンして持ち場へ戻る。

あぁ、みんな仕事大好きだなぁもう!!

って、やってられるかーーー!!!こちとらあつ森したいんじゃーーー!!!

出勤初日、ミシンを分解して中身をいじくる、給料が発生しない2時間を過ごした。

とても有意義な2時間を過ごした。

なぜなら初めて知ることだらけだったから。今となっては忘れてしまったが。

帰宅後、母に初出勤の感想を求められ

サビ残をしてネガティブな感想を言いかけたが、自分をだます意味も込めて

「新鮮で楽しかった。やっていけると思う。」

そう答えた。三カ月後に辞めるのはまた別のお話。

束の間の休息

初出勤から一週間は、先輩の後ろでぼーっと立つ仕事・・・

ではなく、観察して技術を盗む時間が多かった。

その他には、近くにある同じ会社の別工場と道具の貸し借りをしているので

会社の車での運搬役を引き受けていた。

車の中で一人でいるときはとても気が楽だった。

後ろで見ているときは、何をやっているかよく理解できない光景を

ただ眺めているのが苦痛だったからだ。

ただ、苦しいことがあったばかりではない。楽しみもあった。

それは「緊急事態宣言による休み」である。

これは、僕が4月上旬に入社していたときから決まっていたことだ。

一週間働けば、二週間ほどの休みがあるのが分かっていた。

今になって思うが、入社してすぐに「休み」が楽しみになっている状況は

まずい気がしてきた。

もっと仕事して学びたい!慣れたい!戦力になりたい!とはなっていなかった。

ただ、休みはあっという間に終わった。

当時、ちょうど引っ越し中だったので、手続きとか片づけで休みはほとんど消えた。

あまり休んでる感覚はないまま、5月の勤務に突入する。

続きは次のブログに書きます。

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